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霧と自然

日々生きていると、頭でばかり考えたり、周りと比べたり、コントロールしようと躍起になったり一生懸命生きるが故に時に自身や、周りにいる人や環境に対して不満や不安を抱き、日常の中で幸せを感じづらくなったりもします。

でも、他人の評価や何かを得たから、という条件付きでしあわせを感じるのをやめて、今ある中で幸せと探そうとすると不思議と見えてくる「世界」や「自分」が変わってきます。

懸命に頑張るのも、目標に向かって走ることも悪いことではありません。

​ただ、何かをしようとする、のと同じくらい、いや、もっと大切なのは、「何も変えようとしない」「何もしない」時間も持つこと。

それが「今いるところを否定しない」=「自分を否定しない」力となり、人生にバランスをもたらしてくれます。

その「何もしない」のがいちばん上手なのは自然です。

例えば草木は、雨が降っても、とんでもなく暑くても寒くてもそのままそこにあるだけ。

周りと比べたり、評価や、見た目だって気にしません。

起こることに任せて100%委ねていて、自然には、今、しかありません。

 

だから私は、自然の中での散歩が大好きです。
散歩をしながらその風景を綺麗だな、としみじみ味わったり感謝したりもしますが、思考するのを出来るだけやめて、じっと自然を眺める時間も持ちます。
一回の散歩でほんの数分を何回かやるだけですがそれだけでも「今、ここ」を感じられて十分パワフルです。
それが私の瞑想的な感覚を養う練習となっています。

風に揺れる葉っぱ、しなる枝、流れる雲、だんだん落ちていく夕日をじっと観ます。
肌で風を感じたり、虫たちの声を聴いたり。

ただ観て、感じて、聴こえていて
それだけ。​

何もしない、その瞑想的な感覚を養う練習は不思議なことに「ただ、今ここ」に意識があるだけなのに

とてもしあわせな感覚をもたらしてくれます。

何かを得ることで感じられる「幸せ」とは違う、とても満たされた感覚です。​

ヨガでエネルギーが巡りやすい身体を作りながら、肉体を通して自分と向き合い、慈悲を向ける練習をしましょう。瞑想では、自然が教えてくれるように、「あるがまま」何もしない練習をしましょう。

​それが日常へと戻った時に、自然と人生にバランスをもたらしてくれて、どんな状況にいても幸せを感じる力や、自分を否定しない力へと繋がっていきます。

いつも練習の最後に唱える言葉があります。

わたしが幸せでありますように。

わたしの大切な人たちが幸せでありますように。

わたしの苦手な人たちも幸せでありますように。

いきとしいけるもの全てが幸せでありますように。

​ヨガや瞑想を実践していても、していなくてもみなさんが「今いるところ」で心地よく幸せを感じられていますように。

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